数十年ぶりにドラマ『私の運命』を見た感想 あの絶望感とトラウマが蘇る

テレビ

東幹久さん演じる若者が肺ガンになる『私の運命』はトラウマ

1994年10月~翌年3月放送のTBSドラマ『私の運命』は、私にとって生涯で最も記憶に残るドラマです。

ドラマの放送期間は通常1クールの3ヶ月ですが、私の運命は異例の2クールです。

 

ちょっと前まではYouTubeに無くて、つい最近偶然見つけて、数日で全21話を見ました。

 

当時見てない方へ簡潔に説明すると、東幹久さん演じる大手ハウスメーカー勤務の若きエリート鈴木次郎が仕事もプライベートも順調の中、突然肺ガンになってしまう恐ろしいストーリーです。

会社の人間ドックで要精検で引っ掛かり楽観視していたものの、大学病院でちゃんと調べたらステージ3の肺腺ガンだった・・・

という、誰にでも起こり得る可能性がある病気の見つかり方にリアルな怖さがありました。

 

壮絶な手術や闘病生活を経て、フィアンセ役の坂井真紀演じる佐藤千秋との間に忘れ形見を遺して、たった数ヶ月で急逝してしまうのです。

 

思えばこのドラマの前年に、逸見政孝さんが「私がいま侵されている病気の名前・・・ 病名は・・ ガンです」というショッキングな記者会見からあっという間に亡くなられて、「ガン=死は不可避」というイメージが根強かった様に思います。

 

現代では早期発見により克服出来る病気になってきましたが、それでも罹患した本人にとって只事ではないのは、今も変わりません。

 

 

出演者(敬称略)は

・東幹久 (鈴木 次郎 主人公)

・坂井真紀 (佐藤→鈴木 千秋  フィアンセ役)

・野際陽子 (鈴木 真理子  母役)

・佐野史郎 (片桐 俊太郎  主治医役)

・段田安則 (佐藤 守  医師、フィアンセの兄役)

・常盤貴子 (後藤 里美  過去に交際してた看護師役。入院により偶然再会) ほか

上記キャストは90年代前半当時では超豪華な布陣で、中でも野際陽子と佐野史郎の二人の存在感は際立ってました。

 

 

主題歌は松任谷由実さんの『砂の惑星』で、この曲も私にとってはトラウマです。

ドラマのせいも有りますが、容赦なく再発するガンのどこまでもしつこく追って来る異質なインスピレーションを感じました。

自分にとっては、SFC版『聖剣伝説2』のパンドーラ遺跡のBGM並みにトラウマ曲です。(知らない人には、何のこっちゃですね・・)

 

悲愴感漂う挿入曲のオルゴール調とギター調の曲も、ドラマの雰囲気にぴったりでした。

 

手術室やICUで心拍数を測る機械の「ピッ ピッ ピッ」や、酸素ボンベの「シューッ・・ シューッ・・」の無機質な効果音も印象深いです。

 

当時子供だった私は、このドラマによって「転移」「再発」「抗ガン剤」など、普通の子供なら知り得ない言葉を知る事となりました。

 

 



ドラマとはいえ、ガンの進行で絶望感しか無い

序盤の時点で次郎は、まだ自分がガンである事を知らずにいました。

野際陽子が、息子への告知を固く拒んだ為です。

現代では患者本人への告知義務があるそうですが、当時は家族の意向に沿って病名を伏せる事が可能だった様です。

 

しかし日を追う毎にどんどん進行していくガンを食い止めるには、一刻も早い手術か化学療法(抗ガン剤)しかありません。

 

 

究極の二択

■【手術】 低確率だが助かる見込みがある(しかし、体はボロボロに・・)

 

■【化学療法(投薬治療)】 近い将来、確実に死を迎える(しかし最期は、人間としての生活が何とか可能)

こうなってしまった場合どちらかを選ばないとなりませんが、どちらの道も辛いです。

私がそうなってしまった時に強いて選ぶなら、投薬治療かもしれません。

 

次郎は若く「今後の永い人生がある事」・「体力がある事」から、手術を選択しました。

この手術は、片側の肺全部と転移してる可能性のあるリンパ節もろとも切除してしまう非常にハイリスクな手術です。

「(当時の)最先端の手術法」とドラマ内で表現されていましたが、実際の医学で本当に存在した技法だったかは不明です。

 

片肺を丸ごと取ってしまう手術をする時点でも、次郎はガンである事を知りませんでした。

主治医の片桐先生(佐野史郎)は母役の野際陽子から口止めされてた事もあり、病名を伏せて「悪性かもしれませんから、安全策で取っておきましょう。 二度と手術しなくても良い様に」という風な説明をしました。

大学病院側としては最先端の手術にトライ出来るチャンスですが、この無茶な手術で生死を彷徨う事となります。

 

私の実生活には何の因果関係も無いドラマ上での話ですが、感じなくても良い絶望感を覚えました。

ドラゴンボールの初期フリーザや、ろくでなしブルースの鬼塚・葛西が強すぎて、絶望感を感じた様に・・

 

今にして思えば、共感性羞恥心の「絶望感版」です。

東幹久の演技がトラウマになるほどのリアルさで、死への絶望感を意識せざるを得なかったです。

 

 



藁をもすがる思いで、母役の野際陽子が変な宗教にハマる

息子の病気が悪化の一途で憔悴しきっていた野際陽子は、仕事上(着物姿で接客する高級陶器店)の繋がりと思われる女性(深浦加奈子)に誘われ、富士山麓の清らかな水で沐浴する新興宗教の儀式へ行く事となります。

 

厳かな宗教色の強い雰囲気の中、この時点では宗教に対してネガティブでしたが深浦加奈子に背中を押される一言で決心し、息子の為にヤケクソで狂った様に冬の富士山麓の冷水を浴び続けました。

その際に叫んでいたのは「ハンジャカマラシーシッタールッターブッターズンダー」という、宗教独自の呪文?でした。

独特な手の動きに合わせて「ハンジャカマラシーシッタールッターブッターズンダー」を、ひたすら叫び続けます。

 

一般患者が普通に座って待つ病院の待合所でも、祈祷を続けて周りの人たちから不気味がられます。

 

インドや中東・東南アジア諸国の様なエキゾチックな言葉で、日本でいうところの「南無阿弥陀仏」の様な意味を持つものと思われます。

 

富士山麓の儀式の日は、次郎の検査だか投薬で重要な日でした。

冷水を浴びた時刻が奇しくも次郎の容態が一時的に良くなるタイミングと一致したので、野際陽子は「儀式のおかげで、次郎ちゃんは良くなった!」という錯覚を起こしてしまいます。

これによってこの怪しげな宗教にハマり、お布施や霊感商法で散財する事となります。

 

「ハンジャカマラシーシッタールッターブッターズンダー」は、2001年頃に無関係の番組でも聞いた事があるので、宗教言語として実在するはずです。

 

病室の壁にお札を貼ったり聖水を撒いたり、高く売りつけられたであろう壺などが自宅に有った事から、数百万円は吸い取られたと思います。

 

最近では【統一教会】の件で宗教問題が表面化してきましたが、宗教に入信するのは止めといた方が良いでしょう。

私の家の近所に〇〇教の人が居て、自宅以外の土地を全部売り払った家があります。

地元では有名な地主でしたが、あっという間にすっからかんになりました。

 

もっとも野際陽子は、後に別の怪しげな宗教家の道場みたいな所に行って、同じ様な事を繰り返していましたが・・(13話)

 

 



死生観について

『私の運命』はガンがテーマである事から、『死生観』について考えさせられます。

 

天国と地獄という線引きは本当にあるのか?

あの世で先祖に会えるのか?

数百年~数千年・数万年前の先祖は、どんな人物だったのか?

死んだらどうなるのか?

死後は完全に「無」なのか?

お盆は茄子かキュウリに乗って帰るのか?

霊界?  冥界?  黄泉?

守護霊?  地縛霊?

新たな赤ちゃん、又は別生物に生まれ変わるのか?

 

 

いつか必ず迎える『死』について誰もが様々な考えを持ちますが、宇宙に誰でもリーズナブルに住めるくらい科学が発達したとしても、人間が死んだ後の事だけは解明出来ないかもしれません。

死者に「死後の生活は、どんな感じですか?」とインタビュー出来る訳がないので、死後の世界という物は絶対に分からないのです。

よって上記の疑問点は、何一つ分かりません。

 

 

 

霊能力者

霊能力者やイタコの人達は「見えている」はずですが、100%信頼できるかと言われたら懐疑的な部分もあります。

 

私の知人に「見える人」が居ますが、日常的に見えていてコミュニケーションを取る事も可能だそうです。

スマホで撮った写真でも、「ここは戦時中、死体置き場だった(学校の校庭は、大体該当する)」 「事故死した霊が、うじゃうじゃ居る」などの解説をしてくれます。

僧侶の資格も持っていて、読経や結界を張ったり一通りの事が出来るとの事です。

私の思う結界は幽遊白書みたいな【閉じ込める】モノでしたが、これとは少し違って【邪気を入らせない】バリアの様なモノです。

本人にとっては日常の延長ですが、私にしてみれば理解できない領域です。

 

 

 

霊魂は21g?

100年以上前の米国医師が研究した結果、人間が死んだ直後は21g軽いという説があります。

どうやって測っても死ぬ前と死んだ後では必ず21gの誤差が出て辻褄が合わなく、「何か」が体外に出るそうです。

 

この「何か」の物質は霊魂なのか?

現代科学の情報が乏しく、真偽については不明です。

 

 

 

死ぬ瞬間は気持ちいい?

死ぬ瞬間は脳内麻薬が分泌されて、生涯最後のギフトとして「最高に気持ち良くなる」そうです。

あらゆる苦痛が無くなり、俗世の覚せい剤や麻薬の比ではなく、とても気持ち良くなると言われています。

 

人は、死んだ後でも細胞が動いています。

死後硬直でカチカチのままのイメージがありますが、【緩解(かんかい)】といって硬直が解ける活動をしているのです。

医学的に「死んだ」後でも、脳内麻薬による快感をしばらく味わえるかもしれません。

 

 

 

死後の世界は本当にある?

おそらくほとんどの人の死後は「完全な無」で、自我の意識も何も無いでしょう。

漫画のドラゴンボールや幽遊白書などで「あの世」の描写があり、何となく死んだ後の世界もありそうだなと思ってしまいますが、実際は何も無いと思います。

特にドラゴンボールでは、死んだ人間(サイヤ人やパイクーハン等の宇宙人含む)が生身のまま修行したりしますが、これによって「死んでも何とか楽しく過ごせそうだな」と思うのは早合点です。

 

交通事故や病気で生死を彷徨う臨死体験で「お花畑」「三途の川」「トンネル」を見た、という経験談もありますが、心霊ブームの脚色なのかなと思います。

 

死後の世界が無いものとすると、高額な戒名や六文銭などは必ずしも必要ではないという考えに至りますが、ごく少数の人にだけ「死後の世界」があって幽霊や妖怪になっていると個人的に思うところです。

 

 



『私の運命』全21話を大人になった今見ても恐怖しか無い

子供の頃見たドラマでもインパクトのあるドラマだったので、大体の内容を覚えてました。

 

当時は【ガン=死】の感覚で、ドラマの回が進む毎に様々な治療で助かる希望を見出すものの「東幹久(鈴木次郎)、後半の方で死んじゃうんだろうなー・・」と思ってました。

 

手術が上手くいったとしても元の健康状態に戻る事は100%有り得ない事を、段田安則演じる佐藤守(次郎のフィアンセの兄)が淡々と指摘してました。

 

毒々しい青色のキジマリン(架空の抗ガン剤名、当時の貴島Dの名前から付けた)という点滴を注入するシーンも、見てて怖かったです。

副作用が強い未認可の薬を、ぶっつけ本番で使わざるを得なかった状態でした。

 

この様に、ガンになってしまったら「進むも地獄、退くも地獄」なのです。

常に不利な状態で「5年生存率」など、日常的に「死」を考えなくてはなりません。

 

 

本記事投稿日時点(2023年2月)で『私の運命』放送から30年近く経過してるので、当時子供だった私もそこそこの年齢になりました。

自分が病気になる気はしませんが、もしガンになったらどうしよう?

というのは、このドラマを通して思うところであります。

 

 

『私の運命』では基本的に不幸の連続で、誰も幸せになってません。

幸せかどうかは各々の価値観にもよりますが、客観的には死別・病気・復讐・詐欺被害・離婚等々、ハッピーな要素がほとんどありません。

次郎が遺した昇も何とか危篤状態から生き延びましたが、いつ何時病気が再発するか分かりません。

 

 

ストーリー上亡くなるのは、次郎と片桐先生です。

佐野史郎演じる片桐先生も、何故か肺ガンになってしまうのです。

 

手術の直前では執刀医である部下の本間先生を鼓舞したものの、悟った様な苦笑いから半ば諦めた様に私には見えました。

片桐先生は遺書を書いていて「この手紙を読まれる時、私はこの世にいない。 将来の医学発展の為に献体する」という旨を読み上げるシーンがありました。

松任谷由実さんの楽曲が流れてる部分だったので、YouTube動画では著作権の関係で全カットでしたが。。

 

野際陽子演じる母(自殺未遂と心臓疾患)と、忘れ形見の昇(小児性ガン)も死にかけます。

 

ドラマを見てて次から次へと絶望感の連続で、救いがありません。

リアルタイムで見てた子供の頃はもちろん、大人になった今でも絶望感を強く感じて怖かったです。

 

 

「今夜が山だ」と言われて、手の施しようが無くなった次郎を病院からタクシーで連れ出し、未明に逗子海岸で看取るシーンが印象深いです。

あのシーンの東幹久の演技によって、ガンで死ぬとはこういう事なのか・・という事を思い知らされました。

 

 

あれから30年近く経った現在でもガンの特効薬らしい物は無く、二人に一人は罹患して、四人に一人はガンで亡くなる時代です。

遺伝もありますが、喫煙・飲酒・食事・運動などが大きな原因です。

生活習慣を見直せるところは、今からでも改善しましょう。

「今日」がいちばん若いのですから・・

 

 

 



コメント

  1. シロ より:

    すごく良い記事でした。
    私も改めて視聴しています。
    鬱ドラマで刻まないと観れない

タイトルとURLをコピーしました