私は同じ言葉を連続して発言したり聞くことが嫌いな様である。
飲食店で料理を届けにくる際、毎度の「失礼します」が嫌いな様に。
スタバで注文する際も、店員が「店内でお召し上がりでしょうか?」と訊いてくる。
ほとんどの人が気にも留めない質問だが、「この人は1日に何回、店内でお召し上がりでしょうか? を言うのだろうか」と、店内で熱々のコーヒーを飲みつつ新たな客が来る度に気になったものである。
タイトルの通り、スポーツ中継の解説やインタビュー時の「そうですね」が聞き苦しい。
ジャンルを問わずどんな競技でも、試合中の解説や試合後の選手インタビューの時に、自分が喋る第一声に漏れなく「そうですね」を付ける人が多い気がする。
ビッグボスこと新庄監督は「そうですね」のアンチであり、「そうですね禁止令」をチーム内に正式に発令して一石を投じてくれたものの、世の中にはまだまだ「そうですね」がはびこっている。
影響力のある新庄氏を以ってしても「そうですね」を根絶やしする事は容易ではない。
振り返れば、私が「そうですね」に初めて違和感を持ったのは、2006年頃の長谷川穂積氏(プロボクサー)だった。
当時世界チャンピオンとして、爆発的な撃ち合いとスタミナでトップクラスの強さだったが、試合後のインタビューで「そういえば、毎回そうですねって言うよな~」と思ったものである。
その後の防衛戦等でも、インタビュアーとの会話で長谷川氏の番になると、絶対そうですねを言うだろうな~と思っていたら、案の定そうですねから始まるのである。
そうですね嫌いが決定付けられたのは、この頃だと記憶している。
それからというもの、野球・サッカー・ボクシング・格闘技全般・オリンピック種目に至るまで、あらゆる解説者と選手の「そうですね」が小さなストレスだった。
現在ではテレビ画面に向かって、選手が「そうですね」を言いそうなタイミングに先んじて、「どうせ、そうですねって言うんだろ?」の念を込めて、私が「そうですね!」を食い気味に被せてストレスを軽減している有様である。
当たり前だが、私の声が画面の向こうの彼らに届く事は無い。
長丁場の箱根駅伝で、解説者が「そうですね」を言うタイプだと、けっこうしんどい。
今から少なくとも5年以上前から1号車解説者は早稲田OBの渡辺康幸氏で、この方は「そうですね」タイプの解説で、最もテレビに映る時間が長い1号車の為、頻繁にそうですねを耳にする事が多くなってしまうのである。
正月にのんびり箱根駅伝を見るのが毎年楽しみでも、往路と復路で約6時間ずつ聞き続けるのは、なかなかのストレスである。
区間賞で走った選手や優勝チームのメンバーでも「そうですね」を使う人が新たに出現して、困ったものである。
この風潮がいつまで続くのか?
自然消滅は考えにくい。
新庄氏をはじめ、影響力のある著名人の方が異を唱えないと、いつまで経っても「そうですね」はたぶん無くならない。
私のブログ上でいくら書き殴ったところで、読者が少なく何も変わらない。
インフルエンサーが声を大にして、「そうですね撲滅運動」のトレンドが始まる事を切に願っている。
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